ショパン 作品 解説。 【難易度と解説】ショパン エチュード作品10(別れの曲 / 黒鍵 / 革命 etc.)

幻想曲 Op.49 CT42 ヘ短調/Fantaisie f

ショパン 作品 解説

ショパン ノクターン解説 ショパン:ノクターン Frederic Chopin : Nocturne ノクターンはラテン語のノクトゥルヌス=「夜の」という形容詞が語源になっています。 夜想曲という日本語表記は字面の美しさだけでなく、言葉の意味を反映した訳といえるでしょう。 音楽としてのノクターンの歴史は古く、少なくとも中世まで遡ぼることができます。 しかしショパンのノクターンと関係があるのは18世紀後半くらいから、すなわち器楽伴奏つきの単一楽章の声楽曲(つまり歌曲)としてのノクターンになります。 これをもとに1800年代初頭にジョン・フィールドがピアノ独奏曲を書いたところから、器楽小品としてのノクターンが始まります。 19世紀前半にはフィールドのほか、クラーマーやツェルニー、クララ・シューマンといった多くの作曲家がピアノ独奏用ノクターンを書いています。 19世紀後半以降ではフォーレとプーランクがかなりの数のノクターンを作曲しました。 なお、ドビュッシーは管弦楽のノクターンを残しています。 フィールドが創始したピアノ独奏のノクターンは、歌曲のメロディがアルペジョ(分散和音)の伴奏に乗った単純な曲で、まさに初級〜中級ピアノ愛好家のための小品というおもむきでした。 ショパンは歌曲風の表現を得意としていたので、これ幸いとノクターンに飛びついたのは想像に難くありません。 サロンで手軽に演奏できる曲として、またピアノレスナーに売るための楽譜として、ワルツやマズルカとともにショパンの得意とするジャンルになりました。 しかし純音楽志向の強かったショパンはメロディ+分散和音という単純な構造では満足できず、作風はどんどん進化(深化)していきます。 ともに4曲しか作っていないバラードやスケルツォと違い、ショパンは数多くのノクターンを作りましたので、作曲時期による作風の変遷を見て取ることも出来ます。 ショパンの残したノクターンは全部で21曲あります。 現在入手できる楽譜として、ウィーン原典版には21曲すべてが、エキエル編ナショナル・エディションには存命中に出版された18曲が掲載されています(遺作は別冊に収録)。 またパデレフスキ版は「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」と21番を除く19曲となっています(「レント…」は別冊に収録)。 ですので、楽譜の購入時には注意が必要です。 CDも「レント…」が入っていない19曲の全集が多いです(パデレフスキ版の楽譜を使っているピアニストが多いため)。 なお、今回の解説は、主にウィーン原典版の楽譜を参考にしました。 ウィーン原典版はナショナルエディションの校訂を行ったヤン・エキエル氏が校訂していますし、日本語の詳細な解説や演奏ノートも付いていますので、ノクターンを弾くならこれをおすすめします。 ところで、旋律+アルペジョの伴奏という形は、ショパンのピアノ曲において頻繁に登場する基本的な構造といえます。 ピアノ協奏曲の第二楽章は管弦楽伴奏つきのノクターンと考えられますし、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」のアンダンテ・スピアナートも美しいノクターンです。 また、ピアノソナタ3番やチェロソナタの第三楽章もノクターンです。 特にチェロソナタの方は簡素な書法ながら、ピアノとチェロが対話する雰囲気がとても素晴らしいと思います。 年月を重ねるに伴ってショパンの作曲技法は充実しましたが、ノクターンの方法論を用いた到達点としてはOp. 62のほかに「子守歌」と「舟歌」をあげておきます。 「子守歌」は同じ音型のアルペジョが続く上で旋律が次々とピアニスティックな変奏をされる曲で、Op. 9-2路線の究極と言えます。 「舟歌」は拡大されたノクターンと見なすことができるショパンの最高傑作の1つです。 いずれの曲も別の機会に詳しく解説しますが、基本的な書法はノクターンである点に着目していただきたいと思います。 このように、ノクターンとして出版された作品以外にもノクターンの手法を生かした曲は数多く、ショパンとノクターンは切っても切れない関係にあることがお分かりいただけると思います。 <コラム:フィールドとショパン> フィールドの作風を拝借した形で創作が始まったショパンのノクターンですが、出版されるやすぐにフィールドの作品を超えたという評価を得ます。 ショパン自身はフィールドのことを作曲家/ピアニストとして非常に高く評価しており、「フィールドと並び賞されるなんて、僕は嬉しくて走り回りたい気分です」などという手紙を書いています。 この言葉にはショパンの音楽観についての重要な示唆が含まれています。 すなわち、歌謡性のある旋律をピアノで歌うように弾くことを重視していたショパンだからこそ、フィールドを評価していたのです。 9(第1番〜3番) Op. 9には3曲が含まれますが、20歳前後の作曲と言うこともあり、Op. 9-3以外は表面的な美しさが主体で音楽の持つ重みなどはあまり感じられません。 3曲とも左手の伴奏上にシンプルな旋律が歌われる形が基本になっています。 9-1は、ため息のような儚く繊細な旋律が印象的な曲です。 全体的にフィールドの強い影響が出ていて、伴奏のアルペジョの音列はほとんどフィールドそのままです。 また旋律の修飾法にはフンメルの影響が見えます。 9-2は大変に有名な曲。 しかしロマンティックなメロディが修飾されながら繰り返されるだけで、音楽的にはそれほど深みがありません。 ただ基本になるメロディがあまりにも美しいこと、そして様々な修飾が入るにもかわらず演奏難度が低いのがポイントです。 ツェルニー30番に入ったばかりの人でも十分に弾けます。 ショパンは音楽に芸術性を追い求める傾向が強く、それが演奏難易度に反映してしまうタイプの作曲家ですが、この曲は意識的に難易度を低く設定したのでしょう。 なお、上級者向けにさらに華やかな修飾を加えたバージョンも残されています(エキエル版ナショナルエディションやウィーン原典版の楽譜にはオリジナル版と両方掲載されています)。 上級者の方はぜひ華麗バージョンのフレーズを取り入れて、ワンランク上の演奏を楽しんでください。 9-3はOp. 9では最も大規模で、音楽的な内容も多少異なっています。 ABAの三部形式で、中間部がかなり激情的で調性的にも複雑な様相を呈します。 15(第4番〜6番) Op. 15になると徐々にフィールドの影響が抜けて、音楽的な密度が高くなってきます。 その分だけ演奏難易度が上がってしまいました。 15-1はポリフォニーが音楽的なテーマになっており、アルペジョ伴奏+旋律という単純なスタイルから脱却しています。 三部形式の中間部は重音のトレモロが続く非常に激しい音楽で、ドラマティックな盛り上がりを見せます。 15-2は有名な曲。 #が7つも付いた嬰ヘ長調です。 中間部の書法が前奏曲Op. 28-8とよく似ており、同時期の作と考えられます。 15-3はホモフォニックで単純な書法ですが、リズムと調性に捻りが入っています。 しかもA-B-Cという珍しい形式で、最初の主題が再現することなく終わってしまいます。 この曲は非常に実験的で、一筋縄ではいかないショパンのセンスが凝縮されています。 27(第7番、8番) ここでまたアルペジョ伴奏+旋律のスタイルに戻ります。 15で音楽性を拡大することに自信を持ったのか、「シンプルな歌で主部が始まって、次第に盛り上がる」書法に磨きがかかり、一層の芸術性を帯びてきます。 27-1はまず開始部分の旋律が面白いです。 E-Eis-Fと半音階を使っているのはショパンでは珍しいです。 中間部はかなり盛り上がりますが、そこから再現部への戻り方も凝ってます。 転調したあげく、別の楽想を呼び起こしてさらに転調、そしてレチタティーヴォをはさんでようやく主部が戻ります。 これだけ中間部を充実させてしまうと、せっかく戻った主部はコーダのような役割にしかなりません(笑)。 27-2はOp. 9-2と同じ単一主題の変奏ですが、変奏手法そのものが大幅に進化しており音楽的な深みが段違いに増しています。 曲中ずっと伴奏形が変わらないにもかかわらず、アルペジョの音列選択がたいへん精緻なため飽きさせません。 見事なセンスです。 32(第9番、10番) Op. 32-1は次々に転調してほとんど主調に留まるところがない意欲作です。 この曲はロ長調で始まって、最終的にはロ短調で終わります。 ショパンだと、バラード2番など数えるほどしかこのパターンはありません。 ただこの曲の転調はやりすぎだと思います。 コーダにきてロ短調で終止しそうな雰囲気が濃厚になるのですが、ドミナントのまま延々引っ張るのでバランスが悪くなっています。 32-2はABAの三部形式ですが、最初は静謐な旋律がLentoで始まって中間部で盛り上がり、その後再現するときに最初とほとんど同じ内容のままフォルティッシモで"Appassionato"(情熱的に)という指定が入っているのが問題です。 この再現部をどのように弾くか、テンポなどを含め演奏解釈が大きく分かれるところです。 なお中間部は調性的にかなり複雑です。 37(第11番、12番) Op. 37-1はOp. 48-1を先取りする曲です。 装飾の多い物憂げな旋律の主部とコラール的な中間部、短縮された再現部というシンプルな三部構成です。 27、32と音楽的に複雑な曲を作ってきた反動か、非常に簡素な書法になっています。 37-2はノクターンでは珍しくABABA形式になっています。 三部形式から拡大していて、音楽的にも充実している曲です。 艶かしく動く主部と静謐な中間部の対比が素晴らしいです。 A部後半に緊張感のある転調があって、そのあと動きの少ないB部が入ってくるのはインパクトの強い構成といえるでしょう。 48(第13番、14番) Op. 48-1はスケールの大きな名曲です。 最初の呟きのような旋律が祈りのコラールを経て激しく劇的な再現を見せる曲で、ここまでくるともはやバラードと大差ない作品と呼べます。 様式的には三部形式ですが、中間部でリズムが徐々に三連系に変わってそのまま再現部へつながります。 旋律&和声的に三部形式、リズム的には二部形式という入り組んだ構造が面白いですね。 この曲、最初は弾きやすいのですが、中間部のコラールで非常に大きなアルペジョが出てきたり、再現部でいきなり音符が増えたりしますので演奏難度はかなり高いです。 なおピアノソナタ第3番の第三楽章曲も三部形式でありながら前半と後半でリズム形が変わるノクターンです。 48-2はシンプルな書法で凝った調性を使うタイプの曲です。 歌唱的な主部とコラール的な中間部という構成はOp. 48-1と同じで、2曲セットで出版した意義も感じられます。 ただ調性的には本当に複雑で、しばしば主調(嬰へ短調)が何だったのかわからなくなってしまいます。 55(第15番、16番) Op. 55-1もOp. 48-1とそっくりの始まり方をしますが、それほど激しい展開はせず静謐な空気感が支配します。 55-2は対照的に伸びやかなメロディが歌われる曲です。 旋律には非常に長いスラーがかかっており、息の長いフレージングを要求していることを伝えます。 なお伴奏形は最初から最後までほとんど変わりません。 そのかわり転調はかなり複雑です。 主題のポリフォニックな変奏手法なども充実しており、ショパンの円熟ぶりをよくあらわしています。 62(第17番、18番) Op. 62はショパン存命中の最後の出版作となったノクターンです。 62を重視しない人もいるようですが、これは疑いなくノクターンの最高傑作であり、ショパンの全作品中でも高い評価をしたいと思います。 62-1は旋律そのものの出来が非常に良いことに加え、転調の連続で緊張感を高めた中間部から主部がトリルで再現するという素晴らしい発想に耳を奪われます。 また、その後のコーダに至る書法は、バラード4番にも通じる深い幻想性を感じさせてくれます。 素晴らしい名曲といえるでしょう。 全体に流麗な雰囲気が支配しますが、決してだらだら流すのではなく1つ1つのフレーズが精緻に組み立てられており、ショパンのピアノ技法の到達点を余すところなく示していると思います。 ただ、そのため演奏には大変なデリカシーを要求される難曲ともいえます。 62-2はOp. 48-1方式でホモフォニックに始まりつつ、中間部はバラード3番の展開部に似た左手のうねるような動きが切迫感を持ってポリフォニックに展開していきます。 あとは対位法を用いて非常に濃厚に書かれており、これもショパンのピアニズムの一つの到達点を示しています。 第19番 遺作 10代終わりに作曲されたとされる遺作ノクターンです。 アルペジョの旋律に乗ってセンチメンタルな旋律が歌われますが、ちょっと安っぽいというか大仰なところがあり、音楽的にはあまり重視されない曲です。 第20番 遺作「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」 大変有名な曲。 「遅く、とても情感豊かに」という楽想指示がそのまま通称名として使われています。 ノクターンというタイトルは付いていないのですが、アルペジョの伴奏+旋律という曲調はどうみてもノクターンの王道ですね。 20歳前後の時期にショパンの姉ルドヴィカのために作られたようで、ピアノ協奏曲第2番の旋律を引用する仕掛けもあって、ノクターンの方法論を用いて気軽に小品を書いてみたというところでしょう。 演奏難度は低めですが、音域の広いパッセージが出てくるので初心者には難しいと思います(ツェルニー30番終了程度)。 第21番 遺作 これは20世紀になってから発見された曲です。 作曲年代は諸説ありますが、ヤン・エキエル氏の調査によると結核がかなり悪化した晩年(1847-48年)とされています。 一応は完結しているのですが曲と言うよりスケッチに近い内容で、正直なところこのまま演奏できるとは言いがたい面もあり、音楽的な質はかなり落ちます。

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ショパンとは

ショパン 作品 解説

[生]1810. ワルシャワ近郊 [没]1849. パリ 「の」といわれるの家。 当時,外敵のからに瀕したへの愛国心をいだきながら,1830年にを離れた。 31年からパリで暮し,翌年デビュー,しばらくはや,孤独とたたかった。 そのうえ結核に侵されたが,38年から 47年までの間は女流作家ジョルジュ・との恋愛,しあわせな共同生活を得て,最も円熟した作品を書くことができた。 しかし別れたのちの生活は,心身ともに疲れ果て,もはや健康を回復することもなく,39歳のを閉じた。 ポーランドのやを楽曲形式として用い,愛国心,繊細な神経,孤高な生活,病弱な体質などのなかから沸上がる感情のを浄化した独自の表現様式を確立した。 作品は,2巻,練習曲集2巻,ピアノ2曲,ピアノ・3曲,バラード4曲,スケルツォ4曲のほか,,,ポロネーズなど多数。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 ポーランドの作曲家,ピアノ奏者。 フランス人の父とポーランド人の母の間にワルシャワ近郊で生まれる。 からピアノを習い,8歳で公開演奏会を開く。 ピアノ,作曲ともにほとんどで修得し,幼くして知ったJ. との音楽はその音楽観に深い影響を与えた。 中学校に入学後はポーランド各地を旅してポーランドの民俗音楽に接し,やへの関心を深める。 この年ウィーン滞在中,ロシアからの独立を求めて〈十一月蜂起〉がワルシャワで勃発 ぼっぱつ。 帰国を断念して1831年パリに赴き,以後再び故国の土を踏むことはなかった。 パリではF. 1836年には女性作家ジョルジュ・と出会い,マリョルカ島やパリで共同生活を送る。 その間,《24の》(1839年),《バラード第4番》(1842年),《》(1846年)などの傑作が生まれるが,1847年サンドとの仲は破局を迎えた。 結核によりパリで死去。 なお,その名を冠した〈〉(参照)は,ピアノ奏者の登竜門として世界有数の権威を誇り,課題曲はショパンの作品のみ。 優勝者に,,など。 主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新 ざんしん な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的に親しまれている。 父ニコラスは16歳のときからポーランドに移り住んだフランス人、母ユスティナは没落貴族の出のポーランド人で、フレデリック・ショパンは長男としてワルシャワ近郊のジェラゾワ・ウォーラに生まれた。 生年月日については諸説があり、1810年3月1日が一般に支持されているが、1809年説も有力である。 両親をはじめ家族そろって音楽を愛好したが、4、5歳から姉のルドウィカにピアノの手ほどきを受け、1816年からはウォイチェフ・アダルベルト・ジブヌイに師事した。 7、8歳ごろから作曲に興味を示し、民族舞曲やロンドなどいくつかピアノ曲をつくったが、1817年作のポロネーズは作曲後すぐに出版され、最初期の作品として今日に伝えられている。 当時から作曲や即興演奏に秀で、ワルシャワの音楽愛好家たちの間では「モーツァルトの後継者」などと噂 うわさ されていた。 1818年2月24日、最初の公開演奏会を開き大成功を収めて、貴族社会の寵児 ちょうじ となった。 そしてほどなく師のジブヌイをしのぐほどの上達をみせ、ワルシャワ随一の音楽家と世評の高かったユセフ・エルスネルの指導を受けて、1826年にはエルスネルが院長を務めるワルシャワ音楽院に入学した。 エルスネルの教育法は独創性を自由に伸ばすことを主眼とし、型にはめることを極力避けるものであった。 それはショパンの個性的な作曲語法の形成にきわめて有益であったし、同時にまた、生涯にわたる対位法などの技術修得への渇望や、規模の大きな作品での構成的な苦心の原因ともなった。 2年生のときに協奏的作品を課題として与えられ、モーツァルトの主題による『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ(お手をどうぞ)の変奏曲』を作曲したが、この作品はのちにシューマンの「諸君、帽子をとりたまえ、天才ですぞ」の評言によってショパンの名をヨーロッパ中に広めることになった。 この時期、ヨーロッパ楽壇への進出や自作自演による音楽活動への布石としてオーケストラを伴うピアノ作品を集中的に作曲したが、『ロンド・ア・ラ・クラコビアク』(1828)、ピアノ協奏曲第2番ヘ短調、同第1番ホ短調(ともに1830)など、当時ウィーンで人気の高かったベートーベン門下の巨匠チェルニーらの名技主義やフンメルなどに代表される叙情美を多分に意識した技巧的で華やかな作風が特徴的である。 音楽院を卒業すると、より広い活動の場を求めてワルシャワを離れることを決意、1830年10月に告別演奏会を開き、11月ウィーンに旅立ったが、故国での反ロシア暴動、独立革命失敗の報を聞き悲憤と絶望に憔悴 しょうすい した。 彼自身は故国の危機に際して同志たちと行動をともにすることを選ばなかったが、この事件は若い魂に決定的な影を落とし、彼の創作の根底に流れる悲劇性やニヒリズムの源となった。 ショパンは芸術家として生きるべきことをはっきりと自覚して帰国を断念、以後二度と故国の土を踏むことはなかった。 1831年9月中旬、自由の都としてさまざまな文化人や芸術家たちの集まるパリに落ち着き、不遇のうちに研鑽 けんさん を積むかたわら、連日オペラに通いベッリーニなどから旋律のもつ意味について深い啓示を受け、ピアノという楽器に人間の声のようなしなやかなメロディを歌わせる表現方法を研究、アクセントの移動とリズムのくふう、和声上の革新や音色変化、三部形式を発展させて独自の音楽的発想を盛り込むなど、個性的な音楽語法を確立した。 パリではピアニストのカルクブレンナーや、リスト、ロッシーニ、ケルビーニ、ベルリオーズらの作曲家、ユゴー、ミュッセ、ハイネ、バルザック、シャトーブリアン、ラマルティーヌらの文人、画家のドラクロワ、アングルなどが妍 けん を競っていたが、ショパンもまた1832年のパリ・デビューの成功によって夜会に招かれ、淑女たちにピアノのレッスンをし、トレードマークになった白い手袋をはめてサロンに出入りし、請われて演奏したり貴族や芸術家たちと交友を結んだ。 1836年リストの紹介で女流作家ジョルジュ・サンドを知ったが、2年後にはいっしょに暮らし始め、2人の共同生活は9年間続いた。 この間、肺結核を病んでいたショパンの療養のために転地したマヨルカ(マジョルカ)島では『24のプレリュード』(1839)を完成している。 その後も悪化する健康状態のなかで、リズムの洗練、複雑化、形式の拡大、幻想性の重視など創作力は豊かさを増し、ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調「葬送」(1839)、同第3番ロ短調(1844)、幻想曲(1841)、『幻想ポロネーズ』(1846)、バラード第2番(1839)、同第3番(1841)、同第4番(1842)などの傑作を次々に発表、名声を博した。 1848年、二月革命の喧噪 けんそう を避けて多年の宿望だったロンドンに渡り、スコットランドにも旅したが、濃霧や寒さに病状は悪化する一方で、ふたたびパリに帰るが経済的にも逼迫 ひっぱく し、孤独と焦燥のうちに1849年10月17日その生涯を閉じた。 ショパンはピアノの性能が急速に改良・発達しつつある時代に創作期の頂点を迎え、作品は演奏法やペダル技法の拡充と密接に結び付いている。 ことにエチュード(練習曲)集には高度な音楽的着想やその成果がちりばめられ、演奏技術を磨くためのエクササイズであると同時に、彼が発見したピアノ表現の奏法上の秘訣 ひけつ にさまざまな形を与えた記念碑的な名曲となった。 先輩作曲家のなかではバッハ、モーツァルト、フィールドのノクターン様式などを愛し、研究の成果を作曲にも取り入れた。 ポーランドの民族舞曲であるマズルカやポロネーズのリズムと精神は彼の大きな支えとなり、それらを芸術的に昇華した名曲を数々生み出している。 演奏の容易なワルツやノクチュルヌ(夜想曲)から演奏至難なエチュードまで広く親しまれているが、ピアノ作品以外ではチェロ・ソナタ(1846)と歌曲が比較的よく知られている。 Dent and Sons Ltd.

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ショパン・ピアノ曲の主要作品解説・難易度

ショパン 作品 解説

バラード第1番の冒頭部分 形式はの自由な変形。 序奏・主題のは4分の6拍子、コーダ部では2分の2拍子になる。 冒頭はラルゴ 自筆譜・フランス初版・イギリス初版。 ドイツ初版はレント の7小節からなるの風の序奏で始まる。 この終止は四度五度のを使った変イ長調のだが、ト短調のナポリの和音とも解釈できる。 主部はソナタ形式らしく第1主題が提示された後、の第2主題がソット・ヴォーチェのppで現れて変奏・展開される。 第94小節から2回めの第1主題がイ短調で現れる。 第102小節からのクレッシェンドを受け、第106小節のffの頂点に達すると、第2主題がで復帰する。 右手のオクターブの音階がfffまで盛り上がった後、スケルツァンドの軽快なパッセージを経て、3度目の第1主題 ソナタ形式の再現部にあたる が変ホ長調で現れる。 2回目と同様に短縮された形をとり、クレッシェンドで盛り上がると 今回はさらにsemple cresc. 、molto cresc. の指示がある 、そのまま第208小節から54小節の(Presto con fuoco)へと続く。 第242小節では高速な半音階上昇から一気に下降する。 第250-257小節の印象的なつなぎの後、最後は両手のオクターブの半音階進行がfffで下行し、劇的に締めくくられる。 その他 [ ] による、ヴァイオリンとピアノ用の編曲版がある。 バラード第1番(ショパン)を使用した作品 [ ] 映像作品 [ ]• - に系で放送された。 第6話「天才が愛した女」にて、登場人物である広田清美と野亜亘が会話するシーン等で使用されている。 - に公開された・・・の合作。 物語後半、主人公であるがドイツ軍将校にピアノを弾くように命じられた際に演奏した曲として使用されている。 - 制作の。 最終回にて、主人公であるが演奏するシーンで使用されている。 その他 [ ]• - が振り付けした作品。 このバレエでは全編に渡ってショパンの作品が使われており、この曲は第3幕で主人公マルグリットと青年貴族アルマンが最後の逢瀬をするシーンで使用されている。 - 選手が2010-2011シーズンのエキシビションにて用いたほか、選手も2014-2015、2015-2016シーズン、2017-2018シーズン、2019-2020シーズン途中 四大陸フィギュアスケート選手権 からショートプログラムにて用いた。 脚注 [ ]• なお第7小節の左手の和音の最上音は自筆譜・フランス初版・イギリス初版第1刷ではEs音であるが、のちのドイツ初版・イギリス初版第2刷ではD音に変えられていて、これがショパンによる訂正なのかどうかは議論の的である。 20世紀末に出版されたらによるショパン全集『ナショナル エディション』(第2版)ではEsを採用した上で、Dはショパンによる訂正かもしれないとしている。 外部リンク [ ]• の楽譜 -。 として無料で入手可能。 この項目は、に関連した です。

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