鬼滅の刃 甘露寺 裸。 【鬼滅の刃】恋柱”甘露寺密林”のサービスシーン!刀鍛冶の里へレッツゴー!

【鬼滅の刃】恋柱に注目するなら乳だけでなく下半身も見ろ

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『鬼滅の刃』の人気が止まらない! 週刊少年ジャンプで絶賛連載中の少年マンガ 『鬼滅の刃』(きめつのやいば)。 最近異様とも言える盛り上がりを見せていて、ジャンプ読者でなくとも何だか気になっているという人も多いのではないでしょうか?同作のアニメ化大ヒットが引き金となり、累計発行部数は2500万部を突破。 「オリコン年間コミックランキング 2019」では、『鬼滅の刃』が 「コミック作品別」ランキングでシリーズ初の第1位を獲得しました! 実は、コミック年間売上で11年連続首位を守っていた『ONE PIECE』(作者:尾田栄一郎)を抜いたということもあり、コミック業界に衝撃が走りました。 2020年には、劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』の公開を控え、また舞台化の上演も予定されています。 『鬼滅の刃』はなぜこれほどまでに人気なのでしょうか?人々を惹きつけてやまないその秘密とは? 自身もファンである古本店『もったいない本舗』のスタッフsakuraが、『鬼滅の刃』の魅力について語りつくします! 『鬼滅の刃』の異色ストーリーとその魅力とは? 『鬼滅の刃』あらすじ 舞台は大正時代の日本。 主人公の竈門 炭治郎(かまど たんじろう)は、亡き父親の代わりに家族の大黒柱となり、炭を売りながら生計を立てて暮らしていた。 ある日、炭治郎は町まで炭を売りに行って家に戻ると、家族は無残にも「鬼」に惨殺されていた。 そして唯一生き残っていた妹の禰󠄀豆子(ねずこ)は、鬼に変容を遂げてしまっていた。 炭治郎は、禰󠄀豆子を人間に戻すため、また家族を殺した鬼に復讐するため鬼狩りへの道へと進むダーク・ファンタジー。 『鬼滅の刃』は、吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんによる少年漫画で、現在「週刊少年ジャンプ」にて連載中です。 序盤から家族が惨殺されてしまうという驚愕の展開に動揺した読者も多いはず。 本作を読んだ人の多くが「ジャンプらしからぬ作品」と言います。 ジャンプの三大原則といえば「友情・努力・勝利」。 『鬼滅の刃』はその3つを兼ね備えているにもかかわらず、通常のジャンプ作品の中でひときわ異彩を放っています。 それは一体なぜなのでしょうか?それは『鬼滅の刃』が、 「死」という事実に真っ向から向き合っているからだと思います。 多くの少年漫画が死を厭う中、『鬼滅の刃』では重要と思われるキャラでも次々と死んでいきます。 悲しむ間もなく、めまぐるしく変化するストーリーに翻弄され、いつの間にか読者はどっぷりとこのダークな世界観に浸ってしまうのです! また本作は、主人公・炭治郎の驚くべき成長に加え、兄妹や家族の絆も読者の心に深く刻まれます。 それは敵である「鬼」も例外ではなく、忌むべき存在とは言い切ることができない悲哀が見え隠れします。 単純な勧善懲悪で片付けることができないストーリーは、ほかのジャンプ作品とは一線を画しているのではないでしょうか。 あらすじが分かったところで、次は気になるキャラクターを紹介していきます!• <キャラクター紹介>主人公と鬼殺隊の仲間たちを一挙紹介! 『鬼滅の刃』には、たくさんの魅力的なキャラクターが登場します。 主人公・炭治郎をはじめとして、高い身体能力を持つ個性的な登場人物ばかりです。 (少々個性的すぎる傾向はあります。 笑)まずは本作を楽しむうえで欠かすことのできないキーワード「鬼殺隊」「柱」「呼吸法」について確認していきましょう。 表立って活動することは少なく、謎に包まれています。 当主は「お館様」と呼ばれ慕われており、幹部として圧倒的な力を持つ9人の個性的な <柱>がいます。 <柱>未満の隊員はすぐに鬼に殺されてしまうため、<柱>が鬼殺隊を支えていると言っても過言ではありません。 血液に酸素を取り込み、爆発的に身体能力を上げることで鬼の頸を落とすことができます。 この「全集中の呼吸」をずっと継続するには、かなりの鍛錬が必要になるようです。 この呼吸法の始まりは「日の呼吸法」で、そこから水・雷・炎・岩・風などさまざまな流派に分かれていきました。 人気アンケートでは、1位はやはり主人公・炭治郎でしたがそれ以外も魅力的な人物ばかりです。 (単行本10巻巻末にアンケート結果が掲載されています)それぞれの呼吸法とあわせてご紹介します。 <キャラクター相関図> <鬼紹介>上弦・下弦の鬼と鬼舞辻無惨の妖しい魅力とは それでは次に、鬼殺隊が戦うことになる鬼について紹介していきます! 鬼は人を喰らうおぞましい存在ではありますが、もともとは人間だったのです。 『鬼滅の刃』では、鬼が絶命するときに人間だった頃の記憶を取り戻すエピソードが多々あり、それがまた涙を誘います。 「鬼=悪」という構図ではないところに、本作の魅力があるのではないでしょうか。 まずは、炭治郎たちの仇であるキーワード「鬼」「鬼舞辻無惨」「十二鬼月」について見ていきましょう。 もともとは人間でしたが、鬼舞辻無惨の血が体内に入り込むことによって鬼へと変化します。 鬼になると、人間だった頃の記憶が曖昧になり「人を喰いたい」という本能を抑えられなくなってしまいます。 飢餓状態になると家族を食い殺してしまうことも…。 異常に再生能力が高く、身体の一部が切り落とされてもすぐに元通りに。 直射日光を浴びたり、鬼滅隊員の持つ特殊な刀「日輪刀」で頸を落とされると絶命します。 鬼たちの絶対的支配者であり、炭治郎の家族を惨殺し禰󠄀豆子を鬼に変えた張本人。 自らの血を与えることで、人間を鬼に変えることができます。 冷酷無比で、自分に従わない者や役に立たない者は味方でも容赦なく殺すなど、鬼たちを恐怖で支配。 普段は人間の姿で生活しており、いくつかの顔を使い分けています。 しかしながらどこまでも徹底された無慈悲に、ある種の魅力があるのも否定できません。 弱点は日光。 十二鬼月は<上弦の鬼>6人と<下弦の鬼>6人で構成されていて、それぞれ「壱から陸」までの6つの数字でランク付けされます。 (上弦の壱が最も強く、下弦の陸が最も弱い) 上弦の6人は過去100年間顔ぶれが変わらないほど、どれも強大な力を持っていて、<柱>ですら太刀打ちできない可能性があります。 それに比べ下弦の6人は……一部を除いてほぼザコキャラと言っても過言ではありません(笑)鬼殺隊に倒されたり、鬼舞辻に不要と判断され切り捨てられたりするので入れ替わりが激しいのが現実。 鬼舞辻直属の十二鬼月に選ばれたからと言って、その地位が安泰なわけではないようですね。 ここがすごい!『鬼滅の刃』人気の秘密を徹底考察 『鬼滅の刃』のだいたいのあらすじやキャラクターは理解できたでしょうか?それでは、いよいよ本作人気の秘密に迫っていきます。 本作は、主人公・炭治郎の家族が鬼に惨殺されるところから物語は始まります。 かろうじて鬼となって生き残った妹・禰󠄀豆子は、本能的な鬼の習性から炭治郎に襲い掛かりますが、炭治郎は決して妹を見捨てることはありません。 禰󠄀豆子に、「頑張れ」と何度も何度も呼びかけるのです。 自分の大切な家族は、命をかけて守るという覚悟があります。 また、敵であるはずの鬼も例外ではありません。 元々人間だった頃は、鬼にだって大切な家族がいました。 鬼となれば、人間の頃の記憶が曖昧になりますが、死ぬ直前には走馬灯のように昔の思い出がよみがえることも。 幸せだったころの記憶に涙しながら、朽ち果てていくのです。 そんな哀しいエピソードもまた、物語に深みをもたせているのではないでしょうか。 重要人物と思われたキャラですら、あっさりと命を落としてしまうのです。 「仲間」との絆に重きをおくジャンプとしては異例のことですし、物語だけ追いかけると究極の鬱展開になるはず。 でも『鬼滅の刃』を読んでいても、少しも暗い気持ちになったことはありません。 それは何故なのでしょうか? 本作では、あちこちでプッと吹き出すようなユーモアが織り交ぜられているからなんです。 生真面目すぎる炭治郎、女の子が大好きな善逸、もはや野生児としか言いようがない伊之助など個性的すぎるキャラたちの掛け合いが面白く、それが絶妙なタイミングで入ってきます。 「なぜそれを今!」と吹き出してしまうことも多く、シリアス展開の中でも遊び心を忘れることはありません。 そもそも家族を鬼に殺される前は、炭治郎は年下の弟や妹たちの面倒をよく見ていたエピソードがあります。 弟たちにひもじい思いをさせたくないからよく働き、禰󠄀豆子の着物の新調まで考えるくらい妹思いです。 そんな環境で育った炭治郎は、長男という意識を強く持っていて、作中でも『すごい痛いのを我慢してた!! 俺は長男だから我慢できたけど 次男だったら我慢できなかった』 と回想するシーンも。 そんな頼れる兄貴っぷりが、周りの人間を惹きつけるのかもしれません。 それに比べて、妹の禰󠄀豆子は天性の愛されキャラです。 愛らしい外見に加え(炭治郎曰く、禰󠄀豆子は町でも評判の美人)、人間だった頃の素直で気立ての良い性格は鬼になってからも健在。 もしかすると、人間でいた頃より鬼になってからのほうが可愛く見えるかも?!本来鬼を抹殺する立場である<柱>たちも、禰󠄀豆子のことは可愛がっている様子。 彼女には、愛さずにはいられないオーラが漂っているようです。 でも鬼の世界は無慈悲なほどに徹底された「実力主義」の世界なのです。 鬼たちの絶対的な支配者である鬼舞辻無惨直属の十二鬼月の間では、特にその傾向が顕著になります。 鬼舞辻を頂点にした、まさに鬼のカースト制度。 力がない鬼は、鬼舞辻に「不要」と判断されすぐに殺されてしまいます。 ちなみに鬼にも「死にたくない」という感情があります。 鬼舞辻の一言一句に恐れおののき、なんとか気に入られたい、鬼舞辻の不興を買わないようにしようという打算が働きますが、その思考すら読まれてしまうという圧倒的恐怖。 十二鬼月は、鬼殺隊でいう<柱>のようなものですが、人間の組織に比べるとはるかに命がけのやりとりのようですね。 全く似ていないようで、どこか同じ空気感を感じる2人。 鬼と人間それぞれを束ねる鬼舞辻と耀哉は、どのように頂点に君臨するようになったのでしょうか。 鬼舞辻無惨は、圧倒的な「恐怖」と「力」で支配をするタイプ。 自分の血で人間を鬼に変えるという能力のほか、相手の心を読んだり、さらに自らの名前を口にした鬼を殺すことができる呪いも発動することができます。 気に入らないものは排除するという強硬派です。 対して、鬼殺隊をまとめる産屋敷耀哉は穏やかで物静かな人柄。 炭治郎が耀哉に声をかけられ、落ち着きとともに不思議な高揚感を味わったのもこの声が関係している様子。 鬼殺隊員はみな耀哉に忠誠を誓っています。 『鬼滅の刃』名言ランキング|果たして第1位は? 『鬼滅の刃』には、数えきれないほどの名言があります。 相手を思いやる言葉。 強くなるためにあえて相手を突き放す言葉。 腹の底から絞り出すような強い信念を持った言葉。 どれもが胸に強く響き、そのフレーズだけで鮮やかに感動がよみがえります。 皆さんはどの名言が一番心に残っていますか?ランキング形式で見ていきましょう! 10位 『鬼滅の刃』は、 TVアニメ化もされており2019年4月から約半年間テレビ放送されました。 このアニメは「神作画」「クオリティが高すぎる」と大反響を呼び、世間では社会現象とまで報道されました。 原作マンガを読んでいなかった人たちがたちまち原作を買いに走り、あちこちの書店で品切れになるという事態に!重版が追いつかないというのは、まさにこういうことを言うのでしょうね。 アニメ版『鬼滅の刃』は、作画、音楽、演出、声優に到るまですべてが素晴らしく、アニメをきっかけに原作のファンになった人が多いというのもうなずけます。 特にバトルシーンは「圧巻」の一言で、正直ここまでクオリティの高い作画は見たことがありません。 制作スタッフのなみなみならぬ努力の賜物と言えるのではないでしょうか。 原作派の人でも、絶対にアニメにハマってしまうことでしょう。 ちなみに、現在アニメ化されているのは原作の1~7巻冒頭まで。 原作は読んだけれどアニメは観ていないという方。 原作読んでないけどアニメから入っても大丈夫?という方。 ぜひともこの神アニメをご覧下さい!配信サービスをはじめ、DVD&Blu-rayでも順次発売されています。 劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』公開情報 2019年に放送された『鬼滅の刃』テレビアニメ最終話で、 劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』の制作が告知されました。 この発表に狂喜乱舞したファンも多いはず!なぜなら<柱>の一人である煉獄さんの、他の追随を許さない圧倒的な力とおおらかな人柄が際立つ無限列車編は、原作の中でも特に人気のあるエピソードだからです。 劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』は、原作7、8巻の内容がまるまる1本の映画として収められることになるようです。 スタッフやキャストはテレビアニメより続投となるので、アニメの勢いを保ったままの公開となりそうですね。 公開は2020年ということなので、さらなる続報が待たれます。 炭治郎をはじめとする鬼殺隊のメンバーが、短期間のうちに40名以上の行方不明者を出しているという"無限列車"の捜索に乗り出すところから物語は始まります。 不気味に歌う下限の鬼との死闘、そして鬼殺隊最強の剣士である<柱>の一人・煉獄杏寿郎の圧倒的な強さと見どころたっぷりの無限列車編。 ジャンプ発売日ごとに話題になる「鬼滅の刃」ですが、劇場版ではどんな魅力を見せてくれるのか、今からとても待ち遠しいですね!• まとめ ここまで『鬼滅の刃』の人気の秘密について語ってきましたが、いかがでしたでしょうか?現在進行形のジャンプ読者はもちろん、今まで全く少年漫画に興味のなかった人でもとことんハマってしまうような魅力が本作にはあります。 幅広い年代の人気と注目を集め続ける『鬼滅の刃』は、今や重版に次ぐ重版、またコミケでも大人気でもはやジャンプの看板漫画になりつつあります。 正直怖いくらいに勢いのある漫画で、いつふっと最終回を迎えるのかと戦々恐々としているsakuraですが、どんなに仲間が離脱しようとも必ず最後まで見届けたいと思っています。 ここまでお読み頂いた皆さんは、鬼滅ファンでしょうか?それとも未読の方でしょうか?未読の方は、まずは是非原作コミックを読まれることをおすすめします。 とにかく続きが気になる展開なので、既刊コミックすべて手元に準備してから一気に読み進めて下さいね。 jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。 ライティング担当 : sakura 札幌在住30代。 国内・海外問わず本(主にフィクション)をこよなく愛する。 ミステリー、ホラー、ファンタジーが特に好み。 好きな作家は恩田陸、上橋菜穂子、綾辻行人ほか多数。 永遠のバイブルは北方謙三の『三国志』。 アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』で衝撃を受けて以来、叙述トリックにはまり、ラストですべてがひっくり返される「大どんでん返し」本を求めてやまない。 週末はドライブがてら本屋巡りをするのが趣味。

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恋柱・甘露寺蜜璃の入浴シーンがやばいw裸の温泉回は何巻の何話?

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弦弥は、分身に槍で突き刺される。 致命傷のはずだが死なない。 禰豆子は天狗の扇で分身を吹き飛ばす。 しかし、雷を落とされ動けなくなる。 炭治郎は、山の中で空を飛ぶ分身と戦っている。 禰豆子と弦弥がいる屋敷に行く方法を考える。 第110話 あばら屋でこそこそ 炭治郎は、飛行する分身に刀を突き刺し、禰豆子と弦弥がいる屋敷に飛んでいく。 炭治郎は雷で動けない禰豆子を助けようとする。 炭治郎の首を分身の杖が貫こうとする。 その杖を禰豆子がつかみ、炭治郎をは危機を逃れる。 そこへ、天狗扇を持った分身が現れ、炭治郎と禰豆子に風をあびせる。 二人は、風圧で気絶する。 一方、無一郎と小鉄は、鉄穴盛を助け、3人で鋼鐵塚の小屋に行く。 そこには玉壺が待ち伏せていた。 第111話 芸術家気取り 赤い刀は、鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士の刀と同じ。 剣士の姿と炭治郎の姿が重なる。 炭治郎は、3体の分身を同時に斬る。 もう一体の分身は、弦弥が斬っていた。 残る本体のにおいを、炭治郎がかぎつける。 炭治郎は本体である半天狗を見つける。 第114話 認められたかった 炭治郎は、弦弥に半天狗の場所を教え、後を追わせる。 分身たちがよみがえる。 炭治郎と禰豆子は、よみがえった分身たちを攻撃し食い止める。 弦弥は、半天狗が見つからない。 ようやく見つけた半天狗は、野鼠ほどの大きさしかない。 弦弥は、半天狗の首を斬ろうとする。 しかし、刀の刃が折れ、半天狗を斬ることができない。 弦弥は兄とのことを回想する。 半天狗の分身が弦弥の首を刺そうとしている。 第115話 柱に.

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鬼滅の刃ファンブックで炭治郎ねずこの身長や体重が!時任無一郎や冨岡義勇の身長は

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人が恋柱を見る時、視線は胸元に吸い寄せられる。 だが本当に注目すべきは彼女の下半身だ。 彼女の短いスカートの下には、天才の業が隠れている。 『鬼滅の刃』第22話 視界が令和に染まる ちょっと前に 恋柱こと 甘露寺蜜璃が話題になっていた。 お願いだから女性キャラも、普通に人間として戦わせてくれ……— 酒向萌実|GoodMorning SAKOMOMI この人の感想については意見がいろいろとあるだろうが、本記事の主題はそこではない。 主題に関わるのは、この人が甘露寺のキャラデザの どこに注目していたかである。 『鬼滅の刃』第22話 ツイートから分かるように、着目点は甘露寺の 「胸」であった。 これは今回に限った話ではない。 多くの人が立場によらず甘露寺の胸に注目する。 それは 「乳柱」というスラングが誕生していることからも分かる。 俺はこの風潮に疑問を投げかけたい。 お前たちの視点は 令和にあるのではないか、と。 『鬼滅の刃』の舞台設定は 大正時代である。 同じ日本であるとはいえ、令和である現代とは 文化が違う。 それなのに令和の視点で語っていいものだろうか。 そんなはずはない。 やはり時代を考慮した上で語るべきだ。 令和ではなく大正のレンズを通すと、甘露寺の姿が違って見える。 胸よりも下半身、つまり スカートが気になるのだ。 そして彼女のスカートをめくると、 前田という天才の業が見える。 大正っていつだ 本題に入る前に、『鬼滅の刃』の時代設定を確認しよう。 あらすじにも書いてあるとおり、 「時は大正」である。 大正時代は 1912年7月30日から 1926年12月25日までだ。 最終選抜で遭遇した手鬼の発言から計算すると、 1話時点では1912年 大正元年 もしくは1913年 大正2年 と考えられる。 とはいえ作中では具体的な年月日が提示されていないため、ざっくりでいいと思われる。 1910年以前なら 鬼滅前、 1910年代・20年代ならほぼ 鬼滅中、 1930年以降なら 鬼滅後。 これくらいの認識をもって読み進めてほしい。 授乳の道具 なぜ我々は甘露寺の 胸の露出が気になるのだろうか。 同じく柱の 不死川も鍛え上げた胸筋を見せつけているし、 伊之助に至っては上半身を完全に露出している。 『鬼滅の刃』第22話 『鬼滅の刃』第11話 これは 女性の乳房は性的なものとされているからである。 もちろん男性の胸部に性的魅力を感じる人もいるが、扱われ方がまるで違う。 現代の日本における女性の乳房は、 準性器とでも言える状態にある。 しかし、このような文化は 「昔」からあったわけではない。 そもそも日本では乳房どころか、 「裸体」ですら性的なものとされていなかった。 幕末から明治初頭にかけて日本にやってきた外国人たちは、往来から見えるところで行水している日本人に驚き、書き記した。 それほど裸体を見られることについて、日本人は気にしていなかったのだ。 江戸時代の日本人が性的対象とみなしていたのは 「行為とセットになった性器」である。 その心情を感じたければ、 春画を見るといい。 性器・結合部こそ入念に描かれるが、肉体の他の部位については描き込みが少なく、男女差も小さい。 むしろ髪型や衣服の方が重要視されている。 Kitagawa Utamaro [CC0], 上記の絵には俺が修正を加えたので、結合部に興味のある人はリンク先に飛ぶといい。 他のも見たい人は下記リンクから。 とはいえ裸体が気にされていなかったのはせいぜい明治初頭までの話。 外国との交流が増えるに連れ、裸体は「恥ずかしいもの」となっていく。 その象徴とも言えるのが 「腰巻き事件」である。 明治34年 1901年 の白馬会第六回展において、黒田清輝の『裸体婦人像』を始めとする裸婦画が、 著しく風紀を乱すとして警察が展示の制限を求めたのだ。 『裸体婦人像』Kuroda Seiki 1866-1924 [Public domain], 警察は特別室での展示を求めたが、黒田らは反対。 結果、額縁ごと 下半身を布で覆って展示することになったのである。 だが 上半身はそのままだった。 乳房は性的であると見なされなかったのである。 結局、日本で乳房が性的対象とされるようになるのは、戦後の 1940年代後半からである。 アメリカを中心とした欧米の文化が一気に押し寄せたためだ。 アメリカでは 1920年代の終わりから豊満な肉体が求められるようになり、 1940年代には 「胸の谷間」が注目されるようになる。 そして 1950年代から60年代にかけて、 グラマーの黄金時代を向かえた。 この時代の流れが、日本人の感性を変えたのだ。 マリリン・モンロー, Teichnor Bros. , Boston [Public domain], ではそれ以前における日本で乳房はどう見られていたかというと、それは 「授乳するための器官」である。 なにせ「おっぱい」という言葉さえも江戸時代では 母乳のことでしかないし、使われることもほとんど無かった。 一般的に乳房のことも指すようになったのは 1940年代後半のことで、国語辞典に「おっぱい」が登録されたのは 1955年まで待たなくてはいけない。 このように、日本において女性の胸部が露出しているのを「性的」とみなすのは、完全に 鬼滅後なわけである。 谷間に注目するのは アメリカでさえもまだだった。 ゆえに当時における甘露寺のトップスは 「奇妙」であるとはいえ、今ほど 「性的」と見なされなかったと言えるだろう。 しかも 他の柱達の格好も相当に奇抜である。 『鬼滅の刃』第22話 甘露寺の胸ばかり見てしまうのは、我々が令和に生きているからなのだ。 そのため彼女の ボトムスの意味を見逃してしまう。 膝上のイノベーション 甘露寺のスカートは短い。 丈が膝上であるため、現代の感覚でもアレは ミニスカートと言えるだろう。 だが、あれを素直に「ミニスカート」と呼んでいいものだろうか。 冒頭に貼ったTogetterに対するブコメで、「ミニスカートは女性の開放の象徴としての意味を持っていた」ことを指摘したものがあった。 これはおおよそ正しい。 ミニスカートを最初に発表したとされるフランスのファッションデザイナー、 アンドレ・クレージュは明確にそのことを語っている。 現代女性は働き、活動的な生活をしている。 ゆえに服は行動が重視されなくてはいけない。 現代女性は男性と平等であることを望んでいる。 ゆえ服装で男女平等を実現しなくてはいけない。 現代女性は性的タブーを捨て去ることを望んでいる。 ゆえにあるがままの肉体を見せなくてはいけない。 デザイン段階で女性解放の思想が込められており、フェミニズムの目指すところそのものである。 また、 1950年代後半のイギリスでは、ファッションデザイナーの マリー・クワントがミニスカートを自身のブティックで販売し始めている。 Mary Quant, Jac. とはいえ 自由で活動的な女性から生まれ、そんな彼女からの人気を得たのだから、やはりこのミニスカートも「女性解放の象徴」と言っていいだろう。 これまでミニスカートの始まりを簡単に紹介したが、 鬼滅よりざっくり40〜50年後であることに気がついただろうか。 ここまで時代が離れすぎていると、甘露寺のスカートを語るのには不適切であるように思える。 ここで 1930年に出版された 北澤楽天のマンガ 『女百態エログロ漫画集』の1ページを見てもらおう。 『楽天全集 女百態エログロ漫画集』 クレージュより 35年も前のマンガにミニスカートの女性が描かれている。 だがこれは北澤楽天や日本のファッションセンスが世界に先駆けていたことを意味しない。 1920年代にも丈の短い ショートスカートが世界的に流行したためだ。 これについて語るにはウィンブルドンへ飛ぶ必要がある。 現代のテニス ローンテニス は19世紀末のイギリスで考案された。 当初はガーデン・パーティーの余興に過ぎなかったが、広まるに連れて本格的なスポーツとなり、 1877年からウィンブルドン選手権が開催されるようになる。 1884年には女子シングルスも開催されるようになった。 ここで問題になったのが、女性のテニスウェアである。 ガーデン・パーティーから始まったこともあり、当初のテニスウェアは ドレスに限りなく近かった。 しかしそれではプレイしにくい。 そこで選手たちはウェアの改良に乗り出す。 1884年ウィンブルドン初代女子チャンピオンの モード・ワトソンは、シンプルで 「裾の短い」ドレスで試合に出場した。 Maud Watson, 不明 [Public domain], これのどこが「裾の短い」なんだと思うかもしれないが、女性の 「足首が見える」格好は十分に大胆な格好だったのである。 これを受けて20世紀初頭まで、女性のテニスウェアは「細身の長袖」と「足首までのスカート」が定番スタイルとなった。 スカートの裾を引きずらないようになったとはいえ、これでもまだ「動きやすい格好」とは言えない。 それに当時はコルセットをつけてプレイするのが一般的であった。 カリフォルニアのテニスプレイヤー、 エリザベス・ライアンの回想によれば、「プレイ中の動きで鋼鉄の芯が折れ、体を傷つけることもあった」という。 試合後の更衣室には 血のついたコルセットや下着が放置されていた、とも。 この状況を一変させたのが「テニスの女神」とも称される スザンヌ・ランランである。 彼女は 「襟なし・袖なし・ひざ丈スカート」でコートに舞い降りた。 Suzanne Lenglen playing 1920, Agence de presse Meurisse [Public domain], 大会の役員達は「そんな裸のような格好でコートに立たないように」と注意したが、彼女は一歩も引かず 「ダメならフランスに帰る」と言い放つ。 優れた選手であるランランを帰らせるわけにもいかず、結局この格好で出場することが認められた。 こうして彼女はウィンブルドンで 1919年から大会5連覇を達成し、 1925年にまた優勝した。 これは女子シングルス・ダブルスの両方である。 ランランの活躍の影響はテニスコートの中にとどまらなかった。 街を歩く女性達のスタイルも 開放的なものへと変えていくのである。 それまでのバストとヒップを強調し、盛られた服装は前世紀のもの。 これからの時代は 動きやすさだ、と。 こうしてスカートの丈は上がっていき、1920年代にショートスカートが流行するのである。 このように丈の短いスカートは、クレージュやクワントが「ミニスカート」を生み出す前から存在した。 そしてランランを発端とするショートスカートの流れは、我々にヒントを与えてくれる。 戦いに勝つためにスカートの丈は短くなる、と。 ショートスカートの登場は 鬼滅後である。 ゆえに甘露寺のスカートはショートスカートの系譜に連なるものではない。 あれは 収斂進化と考えるべきだ。 ワトソンやランランはテニスで勝つために丈を短くしていった。 甘露寺のスカートも 鬼を倒すという明確な目的があったからこそ、 世界に先駆けたデザインとなったのではないだろうか。 この仮説にはちゃんと裏付けがある。 栗花落カナヲが着ている隊服を見るといい。 カナヲのスカート丈の変遷 戦いの経験を積むに連れ、彼女の スカート丈は短くなっていく。 やはり鬼を倒すためには、スカート丈を切り詰める必要があるのだ。 とはいえカナヲのスカート丈はダーウィン主義よろしく少しずつ短くなっていったのに対し、甘露寺のは最初から短かい インテリジェント・デザインである。 我々はここで鬼殺隊服のデザイナー、 前田まさおと向き合わなくてはならない。 前田という天才 甘露寺の隊服をデザインしたのは鬼殺隊服縫製係の 前田まさおである。 『鬼滅の刃』12巻 鬼殺隊の隊服は 「特別な繊維」で作られている。 通気性はよいが濡れ難く、燃え難い。 雑魚鬼の爪や牙ではこの隊服を裂く事すらできないほど頑丈。 そんなゴアテックスの上位互換みたいな繊維である。 そんな特殊で頑丈な繊維である以上、隊服を縫製するには 高度な技量が求められると思われる。 そして間違いなく前田はその技量の持ち主だ。 だが、前田が持っているのは技量だけではなかった。 天は彼に 時代の先を行くセンスを与えたのである。 クレージュがパリコレでミニスカートを発表するのに先駆けること半世紀、前田はスカート丈を短くするべきだと分かっていた。 運動性を追求するなら脚は自由であるべきで、動きを制限するスカート丈は必要最低限の長さに切り詰めるべし。 めくれやすくなるが、ズロースを履けば問題ない。 時代は 「 裳断 モダン 」である、と。 Toglenn , こうなると甘露寺のトップスは 前田のセンスが先走り過ぎた結果ではないかと思う。 「胸の谷間に性的な意味を見出さない時代」の人間であるのに、彼は「ドレスのようなスタイル」に美しさを見出していたのだろう。 その天性のセンスによって。 しかも彼にはそれを実現する技術があった。 前田の悲劇は彼が 未来に生きていたことにある。 その技術は求められるが、 センスは求められない。 我々が大正時代の感覚を理解できないように、前田の周囲にいる人間もまた、 彼の感性を理解できないのだ。 天才であるがゆえの孤独と苦悩。 とはいえ前田に非が無かったわけではない。 彼は 自分の感性を強引に押し付けているからである。 しかも隊服は先に書いたとおり頑丈で 鎧の役割を持つ。 いくら自分の好みだからといって、隊員を危険に晒すのは間違っている。 芸術家の中には作品第一な身勝手な者もいるが、前田はまさにそのタイプと言えよう。 だから 「ゲスメガネ」と呼ばれてしまうのだ。 しかし前田にも救いの時が訪れる。 恋柱、甘露寺蜜璃と出会うことによって。 恋柱のモード 甘露寺は当初、前田による隊服をそれが 「普通」だと騙されて着ていた。 彼女が真実に気がつくのは柱合会議で蟲柱、 胡蝶しのぶと会った時である。 しかし彼女は以降も前田デザインを着用し続けている。 それはあのデザインが 彼女に適しているからだ。 極めて薄く柔い刀を使う甘露寺の 流法 モード は、 筋肉の柔さと 関節の可動域の広さによって成り立っている。 ギリギリまで切り詰められた隊服は、そんな彼女の動きを制限しない。 これにより彼女は 思うがままに戦えるのである。 さらに前田デザインの欠点である「防御力の低下」も甘露寺にとって問題ではなかった。 これは 筋肉で解決できる。 『鬼滅の刃』14巻 甘露寺の筋密度は常人の8倍である。 そんな筋肉で構成される甘露寺の 「肉の宮」は、隊服が引き裂かれるほどの攻撃にも耐えきった。 肉体が隊服より強靭なのだから、隊服による守りが薄いことを気にする必要はない。 こうして前田は 甘露寺という最高のモデルと出会うことで、自身の作品を世に披露できることとなった。 甘露寺は時代の先を行くデザインを身にまとい、 戦場 ランウェイ を進むのである。 終わりに 『鬼滅の刃』ではしばしば 家父長制に通じる発言がされる。 しかし、それを批判する者は少ない。 現代の価値観ではアウトでも、 大正時代に生きる彼らなら当然のことだからである。 異なる時代を舞台とする作品と接する時は、 当時の価値観を考慮しなくては正しく読み取れない。 これは服装についても同じことである。 甘露寺蜜璃を、そして前田まさおというキャラを正しく理解するためには、当時の服飾文化を知らなくてはいけない。 この記事がその助けとなれば幸いである。 : : : : ただしオーガスとガダムによるロマンス小説におけるヒーローの身体を表す頻出語トップ7に「胸」は含まれていない。 何が求められているか知りたい人はを読むといい。 : イギリスのジャーナリストであるジョン・レディー・ブラックは、1862年頃なら江戸と横浜の近辺で見られたし、1874年頃でも居留地のすく近所で毎晩見ていると書いている。 : 以前に無修正で春画を載せたら評判が悪かったので。 芸術だし、現代にアレで性的に興奮する人は少ないから問題無いと思ったのだが、気にする人はそこそこいた。 なお、ダビデ像で批判が来たことは今のところ無い。 : 地域によっての差はあるが。 : 明治4年に「裸体禁止令」が発令されたのが大きい。 外国人から好奇の視線を受ける機会が増えたことも理由として挙げられる。 : 当時の新聞記事: : 1955年に刊行された『広辞苑』の初版が最初に「おっぱい」を収録した国語辞典だと言われている。 この時には「乳。 また、乳房」と書かれているため、乳房のことも指すのが一般的となっている。 Twitterで1915年の辞書にも「おっぱい」が収録されているとの指摘を受けた。 : 当初は男子シングルスのみ。 : 1924年は病気のため4回戦後に棄権。 : もちろんランラン活躍だけが全てではない。 時は第一次世界大戦後の激動期。 男性が不足し、社会の変革が進んでいた時代である。 こうした時代背景であったからこそ、ランランの影響が出たと言うべきだろう。 : もっと前がお望みなら、今からおよそ3400年前にまで遡ることができる。 単行本21巻でカナヲが履いているのは普通のスカートではなくてキュロットであることが判明した。 これについての考察は別記事に書いた。 : 12巻掲載の描きおろし8コマ『みつりちゃんの隊服』参照。 : 2巻10話参照。 : 当時、女性の下着は「腰巻き」が一般的であったため、裾がめくれると下着どころか陰部まで見えることが普通にあった。 それに対して洋装下着のズロースは、大事なところを完全に守り切る。 だからめくれても問題ないという認識が一般的であった。 今の感覚で言うならば「スカートの下に短パンを履く」ようなものだ。 : しかし甘露寺の下着は、かなり激しい動きをしていても全く見えない。 当時のダボッとしたズロースではありえないことである。 おそらく踊り子が履くようなキャラコ製のフィットする特殊品なのではないかと考えられる。 : ショートスカートが登場したとき、新聞や雑誌などで「裳断」と称されることがあった。 裳を短く裁断するからである。 髪を短くすることも「毛断」と呼ぶこともあったので、単にうまいこと言いたいだけだと思えばいい。 honeshabri.

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